14年前の今日、山形は天華舞う寒い日でした。
議会棟から知事室へ戻り、入室した途端にグラグラと来たのです。
皆さんはあの時どんな状況でしたか?
県庁には非常電源があり、有事の際には切り替わる仕組みになっていますから、私は即3階の危機管理担当部に行って、数台のテレビで映像を見ることができました。
この大地震で一体どうなっているのか聞いたところ、県内の市町村から情報が来ることになっているが、他県から情報が得られる仕組みになっていないとのこと。
そこで、宮城県にリエゾンを派遣して状況を知らせてもらうと同時に、私自身が東北の他5県の知事に直接電話を入れて各々の県の様子をお聞きしたのでした。
その結果、本県は県内の大停電などライフラインの復旧の後、応援県として行動することにしたのです。
本県には当時ピーク時で1万3千人の方々が(全国受け入れ県の中で最多)避難して来られました。
県民は避難所に米や野菜、果物を持参したり、炊き出しをしたり、教員OBが子どもたちの世話をするなど大変活動してくれました。
何より、2万人もの方々が犠牲になり、突然日常生活を奪われた方々のお気持ちは計り知れないものがあると思います。
あれから14年・・・・。甚大な被害をもたらした東日本大震災を私たちは決して忘れてはならないと思います。
鎮魂の想いと復興への願いを込めて、今年も追悼式、キャンドルナイトに参加してきました。